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大阪地方裁判所 昭和53年(ワ)4475号 判決

原告

大阪府共済農業協同組合連合会

被告

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告代理人は、「(一)被告は、原告に対し、金八七二万九九二〇円及びこれに対する昭和五三年五月二一日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。(二)訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告代理人は、主文同旨の判決並びに、予備的に、原告の請求が認容され、仮執行の宣言が付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

訴外芳中輝夫(以下「芳中」という)が、昭和五〇年八月二四日午後九時四五分頃、普通乗用自動車(大阪五五み七四五〇号、以下「芳中車」という)を運転し、大阪府東大阪市日下六丁目三番六号国道一七〇号線路上(以下「本件事故現場」という)を南進中、対向車とすれ違うためハンドルを左に転把したところ、同車の左側を足踏自転車に乗つて同方向に併走していた訴外市道満子(以下「市道」という)を道路左端に追いやることとなり(但し、この際芳中車と右自転車や市道の身体等が接触したことはない)、その結果、自転車の前輪が、後記のとおりの道路左端側溝の蓋の空いた部分に突つ込んで同女が転倒、負傷した。

2  被告の責任

本件道路は国道であつて、大阪府知事が被告国の機関としてこれを管理していたものであるところ、本件事故は、次のとおり、右国道の設置、管理の瑕疵に起因して生じたものであるから、被告は、国家賠償法二条一項により、本件事故によつて市道が被つた損害を賠償する義務があり、従つて、芳中が市道に対して損害賠償金を支払つた場合、同人は被告に対し、支払金と同額の金員を求償することができる。即ち、

(一) 本件国道は、事故現場付近では、車道幅員が約五メートルであり、車道東端部分には、幅員三〇センチメートルの側溝が施設され、網目の枠と鉄板によつて蓋がなされているが、本件事故現場では、右蓋が長さ約四五センチメートル(幅三〇センチメートル)に亘つてずれ、間隙が生じていた(右鉄蓋はあるいは、全く存在しなかつたか、四五センチメートルを超えてより大幅にずれていた可能性も高い)。

自転車は車道左側端の通行を義務づけられているので、このように側溝の蓋の部分に間隙が生じていればそこに落ち込む危険性は極めて高く、特に夜間は右部分の発見が困難で危険な状態であり、道路が通常有すべき安全性を欠いていたことは明らかである。

(二) 被告は、本件道路の管理者として、常に道路状態を把握し、その安全性が保たれるよう努めねばならないところ、本件では右のとおり極めて危険な状態が放置されていたのであるから、その管理に瑕疵があつたことは明らかであり、右瑕疵が、本件事故を発生させた最大の原因である。

(三) 被告は、後記二の2記載のとおり大阪府知事において本件国道の巡回監視義務を尽していたから本件道路の管理に瑕疵はなかつたと主張するが、

(1) 八尾土木事務所道路巡視員は、本件事故現場を含む国道の一回の巡回に約三時間を要していたところ、右巡視員が右時間中絶えず視察に神経を集中させ得ていたとは限らず、本件事故前日の巡回に際しても前記間隙の存在を見逃した可能性がある。

(2) 仮に前記間隙が右巡回の後に発生したものであつたとしても、右巡回時から本件事故発生時までには約三五時間あつたことになるところ、これは、被告が前記間隙を発見して修補するのに十分な時間である。又、仮に間隙が事故直前に発生したため被告がこれを発見、修補する時間的余裕がなかつたとしても、本件事故の発生は被告にとつて不可抗力であつたとは言えない。被告が十分な巡回監視体制を取れないのであれば、そもそも側溝の蓋がずれないようにするか、照明設備を整える等の措置をとるべきであつたからである。

3  損害

(一) 市道の被害

市道は、本件事故により、頭部、左前胸部、腰背部左右大腿部打撲挫傷及び外傷性頸部症候群の傷害を負い、事故当日の昭和五〇年八月二四日から同年一〇月三一日まで六九日間喜馬病院に入院、同年一月一日から昭和五二年五月一二日までの間に三三六回同病院に通院して治療を受けたが、完治せず、昭和五一年八月現在、後遺症として頸部運動痛、眩暈症状が残つた。これらは自賠法上後遺障害等級一二級に該当するものと認定された。

(二) 損害賠償契約の成立

右市道は、次の(1)ないし(3)記載のとおりの損害を被つた。そこで、右損害につき、市道と芳中との間で、昭和五二年七月二〇日、次のとおり損害総額を金一一九二万九九二〇円とする旨の損害賠償契約が成立した。

(1) 逸失利益 金六二八万円

(ア) 休業損害 金四〇五万円

市道は、事故当時、喫茶店を経営するとともに、訴外平田石材店の経営に関与し、一日金一万円を下らない収入を得ていたところ、本件事故により少なくとも四〇五日間の休業を余儀なくされ、その間金四〇五万円の損害を被つたので、同額の損害とした。

(イ) 後遺障害による逸失利益 金二二三万円

市道の年収を金三六五万円、労働能力喪失期間を五年間として、一二級の後遺障害による逸失利益を算出(たヾし、ホフマン係数四・三六四三を乗じる。)すると金二二三万〇一五七円となるので、当事者間で合意の上、右金額を減額し、金二二三万円とした。

(2) 療養費 金三八七万三九二〇円

(ア) 治療費 金三七五万二二四〇円

(イ) 入院雑費 金二万七六〇〇円

入院期間六九日に亘り、一日金四〇〇円の割合による入院雑費を要したので、前記金額を算定した。

(ウ) 通院交通費 金九万四〇八〇円

(3) 慰藉料 金一七七万六〇〇〇円

(ア) 治療中の慰藉料 金九五万七〇〇〇円

(イ) 後遺障害慰藉料 金八一万九〇〇〇円

(三) 市道は、右損害賠償契約成立時までに、自賠責保険より金二五七万円、芳中より金六三万円の合計金三二〇万円の支払を受けていたので、未填補の損害額は金八七二万九九二〇円であつた。

4  共済金の支払及び求償債権の移転

(一) 芳中は、芳中車について、楠根農業協同組合との間に自動車共済契約を結んでおり、同組合は原告との間に再共済契約を結んでいた。右各契約の内容は、被共済自動車(芳中車)の使用等に起因して他人の生命、身体を害することにより、被共済者が法律上の損害賠償責任を負担することによつて被る損害を、各共済者が填補するというものである。

(二) そこで、原告は、右共済契約及び前記損害賠償契約に基づき昭和五二年八月一〇日未払治療費金一三五万八五三〇円に相当する共済金を喜馬病院に、同年八月一三日右治療費を控除した未填補損害金七三七万一三九〇円に相当する共済金を市道に、それぞれ支払つた。原告の支払額は合計金八七二万九九二〇円である。

(三) 前記各共済契約によると、共済金を支払つたものは、その支払つた額の限度において被共済者の有する一切の権利を代位取得することとなつている。従つて、芳中が被告に対して有する前記求償債権は、昭和五二年八月一三日までに、金八七二万九九二〇円の限度において、芳中より楠根農協、さらに原告へと各移転した。

(四) 芳中、楠根農協は、被告に対し、昭和五三年五月二〇日到達の書面をもつて、右求償債権の各移転の事実を通知した。また、原告も右求償債権の譲受人として、被告に対し、右同書面をもつて金八七二万九九二〇円の支払を求めた。

5  よつて、原告は、被告に対し、右求償権に基づき金八七二万九九二〇円及びこれに対する支払催告の翌日である昭和五三年五月二一日から右支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び主張

1  請求原因1記載の事実のうち、芳中が、昭和五〇年八月二四日午後九時四五分頃、芳中車を運転して本件事故現場を南進中、同車の左側を足踏自転車により同方向に通行中の市道を追抜く際、本件事故が発生したことは認めるが、その余の点は争う。市道は、本件事故現場で、後方から進行してきた芳中車を避けるため道路左側端に停止していたところ、芳中が、対向車両とのすれ違いに気をとられて慢然と進行、左転把したため、芳中車を市道の身体に接触させて同女を自転車とともに側溝内へ転落させたものである。

2  同2記載の事実のうち、本件道路は国道であつて大阪府知事が被告国の機関としてこれを管理していること、本件事故現場付近における本件国道の有効幅員が四・五メートルであること、車道東端部分には幅約三〇センチメートルの側溝が施設されており、右側溝には網目の鉄枠及び鉄板により蓋がされていること、本件事故現場では右側溝鉄蓋が長さ四五センチメートル(幅約三〇センチメートル)に亘つてずれて間隙が生じていたこと、自転車が車道左側端の通行を義務づけられていることは認めるが、その余の点は争う。

仮に、右側溝鉄蓋に右の間隙が存したことが本件事故発生の一原因であるとしても、大阪府知事は次のとおり本件国道の管理義務を尽していたから本件道路の管理に瑕疵はない。即ち、

(一) 一般に、道路管理者は、道路の安全性を維持確保するため、適宣道路を巡回して、その通行に危険をもたらすような施設の破損状況ないし異常事態の発生がないかを点検し、もしこのような状況を覚知したときにはすみやかに補修し、あるいは異常事態の除去に努めているものであるが、道路管理者の行なうこの巡回点検も必ずしも常時行なう必要はなく、当該道路の置かれた場所的環境、交通量等に照らして、一定期間の間隔を保つて巡回点検することによつてその道路管理義務は尽されたというべきである。

(二) 本件では、大阪府知事は、八尾土木事務所職員を使用して、約八日間に一度の割合で本件事故現場付近を巡回し、道路面の凹凸の発生の有無、側溝の上蓋のずれの有無、設置状況等について仔細に点検し、異常があるときはこれを記録するとともに直ちに補修を行つてきた。

(三) 本件事故が発生したのは、昭和五〇年八月二四日午後九時四五分頃であるが、その前日である八月二三日の午前一一時頃、八尾土木事務所の職員三名が本件事故現場付近を巡回点検したが、その際には、側溝を蓋う鉄板がずれたり、撤去されていたことはなかつた。

(四) 従つて、側溝の鉄板がずれて長さ約四五センチメートルの間隙が生じたのは、右八尾土木事務所職員による巡回点検後、本件事故発生までの約三五時間の間(道路側端に約四五センチメートルの間隙があれば、何人も容易にこれを発見しうるものであつてそのような危険な状態が長時間放置されていたとは考え難いので、右間隙は、異常事態の発見が困難となつた八月二四日の日没後で、本件事故発生時に近接した時点に生じたものと推測される。)に生じたものと考えられるところ、前記のとおり、道路管理者は常時道路及び付帯施設の安全に危険を生じたか否かを巡回監視することまで求められてはいないのであつて、本件のように巡回監視後わずか三五時間以内に生じたような事故であつて、道路施設の安全性の欠如が側溝上の蓋の移動というように比較的小さいものであるときは、道路管理者の道路及び付帯施設の安全性保持のための巡回義務は尽されており、道路の管理に瑕疵はなかつたというべきである。

3  同3記載の事実は不知。なお、原告主張の損害賠償契約で定められた市道の損害額は不当に高額であり、原告が右損害額を容認して支払つたとしてもこれを被告に転嫁できるものではない。

4  同4記載のうち、(四)の記載事実は認めるが、その余の事実は不知。

5  同5記載の主張は争う。

三  被告の前記主張(二の2の(一)ないし(四)記載の主張)に対する原告の応答

被告の前記主張はすべて争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

1  請求原因1記載の事実のうち、芳中が、昭和五〇年八月二四日午後九時四五分頃、芳中車を運転して本件事故現場を南進中、同車の左側を足踏自転車により同方向に通行中の市道を追抜く際、本件事故が発生したこと、請求原因2の(一)記載の事実のうち、本件事故現場付近の車道東端部分には幅約三〇センチメートルの側溝が施設されていること、右側溝には網目の鉄枠及び鉄板により蓋がされていること、本件事故現場では右側溝鉄蓋が長さ四五センチメートルに亘つてずれて間隙が生じていたことについては当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、原本の存在ならびに成立に争いのない甲第三号証、原木の存在、成立ともに争いのない甲第一号証、原本の存在には争いがなく、証人芳中輝夫の証言により真正に成立したものと認められる同第二号証、証人芳中輝夫の証言により真正に成立したものと認められる同第五号証、証人市道満子の証言により真正に成立したものと認められる同第一三号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第三号証、いずれも訴外小林茂一が撮影した本件事故現場付近の写真であることについては当事者間に争いがなく、証人芳中輝夫の証言により右撮影年月日は昭和五一年七月頃であると認められる検甲第一号証の一ないし八、証人芳中輝夫、同市道満子(但し、いずれも後記信用しない部分を除く)、同原田和隆、同梶谷稔の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められる。即ち、

(一)  本件事故現場は、ほぼ南北に通じる国道一七〇号線の東大阪市日下六丁目三番六号先の市街地路上で、国道が、ほぼ東西に通じる道路(東方向は日下農協の出入口用の道路)と交わる交差点の南東角付近の地点であること。同国道は、事故現場付近では、ほぼ直線状でアスフアルト舗装され、平担で見通しがよく、中央線によつて南北各行車線に分離されていること、また、最高速度は時速四〇キロメートルに制限されていること、右交差点の北側部分では、国道は歩車道の区別がなく、道路幅員は約五・五メートル(たヾし、本件事故現場の車道幅員は側溝等も含めて約五・二メートル)であるが、交差点の南側部分では、道路東側に一段高く段差をつけて歩道が設けられ、歩道端には歩道橋が敷設されていること(右歩道は交差点南東角から南方に向けて設けられ、歩道柵は右歩道の始点で南北方向に対し約四五度折れ曲がつて終わつている)。交差点南側の車道部分は、東端から、幅員約三〇センチメートルのコンクリート舗装部分、同約三〇センチメートルの側溝、同約二・一メートルの南行車線、同約二・五メートルの北行車線に分かれており、交差点から南方約一〇メートルのあたりからは北行車線が西側に約八〇センチメートル拡幅されていること。また、交差点内北詰には幅員約四メートルの横断歩道があり、交差点北東角には日下派出所、北西角には「くさか美容室」南東角には日下小学校の体育館、南西角には民家の建物がそれぞれあつたこと。

(二)  車道東端の側溝は、幅約三〇センチメートルで、交差点北詰、日下派出所の南側地点から南方にほぼ直線状に延びており、交差点では網目状の鉄格子蓋によつて、交差点南詰の前記歩道北端部分では約八七センチメートル四方の鉄板(以下「大鉄板」という)によつて、右大鉄板以南の部分では鉄蓋(一枚の長さ約三メートル)によつてそれぞれ覆われていたが、本件事故当時は、右大鉄板から南側一枚目の鉄蓋が南方へ約四五センチメートルずれて二枚目の鉄蓋と重なる状態になつており、そのため、大鉄板の南側に長さ約四五センチメートル、幅約三〇センチメートルの蓋で覆われていない側溝の穴(以下「本件側溝穴」という)が生じていたこと。

(三)  芳中は、本件事故現場を、芳中車(車体の長さ三・六一メートル、幅一・四九メートル、高さ一・三八メートル)を運転して北から南に進行していたところ、本件交差点北詰の横断歩道の北方約五・二メートルの地点で、前方約一〇メートルの道路左側端を市道が足踏自転車に乗つて同方向に走行しているのを認めたが、そのまま追抜けるものと考え、慢然と約一二メートル進行したところ、交差点中央部を過ぎたあたりに到つて前方約七メートルの北行車線上に対向車が中央線に沿つて進行して来るのを発見し、これを避けてすれ違うため、やや左転把して約三〇センチメートル左方に進路を変更したこと。そのため、本件交差点南詰側溝上の大鉄板の付近で、芳中車をやりすごすために自転車を停止して待つていた市道の身体(右肘部もしくは右膝上部)に芳中車を接触させ、市道をして本件側溝穴に頭から突込むように転落せしめたこと。芳中は、すぐには市道の右転落に気付かず、約五ないし六メートル進行して後方で「ガチヤン」という音がするのを聞いたがなおそのまま進行し、約七〇メートル走行した後に警察官梶谷稔に呼び止められて停止したこと。

(四)  市道は、本件交差点内を、足踏自転車(ミニサイクル、車体の長さ一・六メートル、幅〇・五五メートル、高さ一・〇メートル)に乗つて道路左端の側溝鉄格子蓋上を進行していたが、後方からライトの光で芳中車が進行して来ていることを知り、本件側溝穴の直前の大鉄板上で自転車を止めて同車を待つていたところ、前記の如く同車が急に左転把したためこれに身体を接触され、自転車とともに本件側溝穴に頭胸部を突込むようにして転落したこと。同女は本件側溝穴からはい出して直ちに、芳中車を止めてくれるよう大声を出したところ、日下派出所の警察官梶谷がこれに気付いて芳中車を呼び止めたこと。同女は、本件事故により、頭部打撲挫傷、左前胸部腰背部左右大腿部打撲挫傷等の傷害を負つたこと。

3  以上の事実が認められるところ、

(一)  原告は、事故態様につき、芳中車が市道の身体に接触したことはないと主張し、証人芳中輝夫の証言中には、左転把したのは市道を追抜いた後であるとの右主張に沿う趣旨の供述部分があり、また、前掲甲第三号証の記載及び証人芳中輝夫、同原田和隆の各証言によると、芳中車及び市道の足踏自転車を事故後に検分したところでは、芳中車は車体の前後左右ともほこりをかぶつていたが顕著な擦過痕は認められなかつたこと及び自転車にも芳中車と接触した痕跡は見当たらなかつたことが認められるけれども、証人芳中の右証言は、同証人が事故直後に立会人として指示説明をした上で作成された前記実況見分調書(甲第三号証)の記載とも異なるし、芳中自身の他の証言部分によると、同人は、市道を追抜く際終始その動向を注視していたものではなく、むしろやや道路幅が狭くなつている本件事故現場で対向車とのすれ違いに気をとられていたことが認められること及び証人市道満子の証言と比照して、前記証人芳中の供述部分はにわかにこれを信用できないのみならず、前記乙第三号証によると、市道は「手の肘が車のどこかに接触(多分バツクミラーと思う)した、」旨供述しており、右事実によると、芳中車や自転車に接触痕が見当たらなかつたとしても、市道自身の身体の一部(肘等)が芳中車のバツクミラーあるいは左側面の窓ガラス部等に接触したものと推認され格別不合理ではないし、また、前記甲第三号証によると、右芳中車等の検分が行なわれたのは深夜であつて接触痕を見落とした可能性も推測されるところであるし、前記芳中車や自転車に接触痕がない事実と芳中車が市道の身体に換触したことは必ずしも矛盾しないし、さらに、原告の前記主張は、前提として、市道は、本件側溝穴の手前で停止していたことはなく芳中車と併走していたものであり、芳中車が左転把したために進路変更を余儀なくされて側溝穴に転落したと主張するが、右のような事実はこれを認めるに足りる証拠はなく、却つて、前記認定のとおり、市道は、本件交差点内から側溝鉄格子蓋上を直進して進路を変更したことはなく、後方からの芳中車に気付いて本件側溝穴直前の大鉄板上で停止して芳中車を待ついてたと認められるのであり、そうだとすれば、このような場合、市道が本件側溝穴に転落する原因としては芳中車との接触以外には考え難く、また、市道が側溝穴に転落した直後に芳中車を止めるよう大声で叫んだことも市道と芳中車との接触の事実を推認させるものである。

以上のとおりであるから、結局、前記証人芳中の証言及び芳中車や自転車に接触痕が見当たらなかつたという事実をもつては、いまだ前記認定を覆すことはできない。

(二)  本件側溝穴の状態につき、証人市道満子の証言中には、右側溝穴は単に長さ約四五センチメートルに亘つて鉄蓋がずれてできていたものではなく、大鉄板以南の側溝には全く蓋はなかつた旨の供述があり、証人芳中輝夫の証言中には、穴は側溝がずれてできたものではなく、約八七センチメートル四方の大鉄板自体が存在せず、大鉄板と同大の穴が開いていたとの供述が、また、証人梶谷稔の証言中には、鉄蓋は南北方向に平行にずれていたのではなく、東側に斜めにずれて細長い三角形様の穴が開いていたとの供述があるけれども、証人市道満子、同芳中輝夫の右各証言部分は、前記実況見分調書(甲第三号証)の記載、前掲検甲第一号証の一ないし八、証人原田和隆、同梶谷稔の各証言及び弁論の全趣旨に照らしてにわかに信用することはできないし、証人梶谷稔の右証言部分も、同証人の証言自体当初は側溝蓋のずれは大鉄板の北側の鉄格子蓋の部分であつたと述べるなど記憶が必ずしも明確ではないことが窺われるほか、前記実況見分調書の記載、証人原田和隆の証言、前掲検甲第一号証の六及び七によると鉄蓋は側溝の東側のコンクリート部分を少し、削つてはめ込むように置いてあることが認められて、東側にずれにくいようになつていること及び弁論の全趣旨に照らすと、にわかにこれを信用することができない。以上のほか、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

二  本件道路の設置又は管理の瑕疵について

以上認定の事実によると、本件事故の発生は、本件事故現場では南行車線は幅員約二・一メートルと狭かつたのであるから、芳中としては、早期に市道の自転車及び対向車を発見し(本件事故現場の見通しはよかつた)、その動静を注視して、適宜減速する等の措置をとり、対向車とすれ違つた後に市道を追抜くなどの方法をとつて市道の通行を妨害しないようにする注意義務があつたのにこれを怠り、慢然と進行した上、急に左転把して自車を市道の身体に接触された過失に起因するところが大であることは明らかであるが、なお、本件側溝穴の存在も事故の発生及び損害の拡大の一因を成しているものと認められる。そこで、本件側溝穴の存在が被告の本件道路の設置又は管理の瑕疵に当たるか否かにつき以下検討する。

1  本件事故現場を含む国道一七〇号線は、大阪府知事が国の機関としてこれを管理している(道路法一三条)ものであることは当事者間に争いがなく、道路法三〇条によると排水施設も道路の構造の一部と考えられているのであるから、本件側溝穴が存した本件側溝の設置及び管理についても道路管理者である被告の責任下にあることは明らかである。ところで、「道路の管理の瑕疵」とは、道路の維持、修繕並びに保管に不完全な点があつて、それが本来備えるべき安全性を欠如していることを言うと解されるところ、道路管理者は、道路を常時良好な状態に保つように維持し、修繕し、もつて一般交通に支障を及ぼさないように努めなければならず(同法四二条一項)前記認定事実によると、本件事故現場付近は、市街地である上、車道幅員は側溝等も含めて約五・二メートルと国道としては狭く、特に、南行車線は側溝部分を除いては幅員約二・一メートルで、これを自動車と自転車等の二輪車が併進するときは、二輪車が本件側溝上を通行することは十分予想されるのであるから、道路管理者たる被告は、本件側溝についてもその通行の安全を確保する義務があるというべく、右側溝が通行に対する安全性を欠いていたときは、一応その管理に瑕疵があつたものと言わねばならない。しかしながら、一方、国家賠償法二条一項が管理者の責任原因として定めるものは、あくまでも「管理の瑕疵」であつて、客観的に道路管理者の管理行為が及び得ないような状況のもとでは、道路の管理すなわちその維持、修繕等に不完全不十分な点があつたと言うことはできないのであるから、道路の安全性の欠如が不可抗力によるものであつたり、あるいは道路管理者にとつて回避可能性がなかつたと認められる場合には道路の「管理の瑕疵」はなかつたものと解するのが相当である。そして、右に言う不可抗力あるいは回避可能性の有無は、必ずしも抽象的絶対的な意味においてこれを判断するのではなく、当該事故現場付近の道路全般の具体的な道路事情と交通状況との関連において、客観的にみて、通常予期されうる当該道路の安全性欠如に対応した適切な管理行為が為されていたか否かという視点からこれをみるべきであつて、道路管理者は、必ずしも道路を常時ないし全ての部分について完全無欠ないしは最も望ましい状態におかなければならないものではない。従つて、特段の事情のない限り、道路管理者において一定の客観的に必要十分と認められる管理行為を尽していたときは、客観的にみて、予期しうる範囲を超えた事情によつて生じた安全性の欠如は、不可抗力による、あるいは回避不可能なものとして、「道路管理上の」瑕疵とは言えないものと解するのが相当である。

2  そこで、これを本件についてみると、本件側溝の蓋上を自転車等の二輪車が通行することが予想されることは前記のとおりであるところ、本件側溝穴は長さ約四五センチメートル、幅約三〇センチメートルに及ぶものであるから、自転車の前輪等がこれに落ち込むときは転倒して運転者が負傷する等の事故を引起こし易いことは容易に推測され、特に、本件事故のように夜間であれば本件側溝穴は発見しにくくこれに落ち込む蓋然性も高いといわねばならないから、これによつて本件事故現場の道路が通常有すべき安全性を欠いていたことは明らかである。

3  そこで、進んで、右安全性の欠如が道路管理者である被告の道路管理上の瑕疵と言えるか否かにつき判断するに、成立に争いのない乙第四号証、証人弘田正幸の証言及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(一)  国道一七〇号線の本件事故現場付近の道路管理事務(本件側溝の蓋も含む)は八尾土木事務所が担当していたが、同事務所では右管理事務の一環として管理下の道路につきこれを八コースに分けて、一日ないし二日に一度の割合で定期的な道路パトロールを実施していたこと。右パトロールは八尾土木事務所のパトロール車に運転手も含めて三ないし四人の巡視員が同乗して行なわれ、巡視中の速度は通常時速約二〇キロメートルであつたが、国道一七〇号線上は時速約一五キロメートルで行なわれたこと、巡視員は、前部座席の運転手と助手席の者が前面道路を、後部座席の者が横方向の街路樹、電灯、側溝等を看視し、道路幅が狭い時の横方向の看視は、四〇度ないし六〇度の角度で斜め前方向を見、疑問があると真横で確認するという方法をとつていたこと、道路に異常を発見したときは、パトロール車に積んであるアスフアルト合材で直ちに補修できる場合を除いて原則としてパトロール日報に道路の損傷箇所を記載し、同事務所の維持係に補修させるか、あるいは工事穴等で原因者がある場合にはこれに通知して補修させていたこと、ちなみに、昭和五〇年八月分のパトロール日報(乙第四号証)に損傷箇所として記載された件数は、二一回のパトロール中皆無であつたものが八回、一回のパトロールでの最多件数が四件、合計して二四件であつたこと。

(二)  本件事故現場は、右道路パトロールの第四コース上にあるところ、同コースのパトロールは概ね八日に一度の割合で行なわれ、昭和五〇年八月中は、同月五日及び一四日のそれぞれ午後一時から四時までの間四名の巡視員によつて行なわれたほか、本件事故の前日である同月二三日にも、訴外弘田正幸他二名の巡視員によつて午前九時三〇分から午後〇時三〇分までの間同コース上を約五四キロメートルに亘つて実施され、補修すべき穴を一箇所発見したが、本件事故現場は往復これを巡回看視したにもかかわらず側溝上には何らの異常を認めなかつた(本件事故現場をパトロール車が通過したのは午前一一時頃と推測される。)こと、なお、右パトロールにおいて、訴外弘田は後部座席で道路側方の看視にあたつたが、同人はこれまで側溝蓋につき三〇センチメートル位のずれを発見したこともあり、同程度のずれによつてできた側溝の穴であればパトロール中に発見する能力を有していたこと、また、当時本件側溝穴について市民等からの通報や苦情等が出た形跡のないこと。

(三)  側溝蓋がずれる原因としては、一般には、バスやダンプカーなどの大型車が側溝蓋上で急ブレーキをかけるなどした場合が考えられるが、そのようにしてできる一回分のずれはわずかであつて相当長期間に亘つてそのようなことが積重ねられない限り本件側溝穴程度のずれは生じないこと。また、本件側溝穴は大鉄板から南側一枚目の鉄蓋が二枚目のそれに重なつてずれたために生じたものであるが、そのような事態は、本件事故現場を通過する自動車が鉄蓋をはね上げる場合に起こることが一応推測されるが、右鉄蓋は通常二名の者が両端を持つて持上げるのに適した重さで相当の重量があるため、そのような可能性は少なく、また、本件側溝は車道上にあつて歩道とは歩道柵で隔てられているため、付近の住民が側溝の掃除をして鉄蓋をしめ忘れるというようなことも考えにくいこと。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。もつとも、原告は、八尾土木事務所の道路巡視員において一回の巡回に要する約三時間の間、常に道路を注視していたとは限らず、本件事故現場の巡回においても本件側溝穴の存在を見落した可能性があると主張するが、右は単なる憶測の域を出ないものであつて、これを認めるに足る証拠はなく、却つて、前記認定事実によると、八月二三日にもパトロール車は本件事故現場を時速約一五キロメートルの低速で通過したこと、同日の巡視員は三名で、訴外弘田正幸が道路側方を専問に看視していたが、本件側溝は前部助手席の看視員の視野にもはいつていたこと等が推認され、以上の諸点を併せ考えると、同日のパトロール時にはむしろ本件側溝穴は存在していなかつたことが推認される。また、右認定事実によると、本件側溝穴が生じた原因は不明であつて、結局、八月二三日のパトロール時以後本件事故発生までの約三五時間の間に何らかの予期し得ない理由によつて生じたものというほかない。

4  以上の事実に基いて考えると、成程、本件側溝穴は道路の安全性を損つているものであつて道路の瑕疵というべきものであるが、一方、道路管理者たる被告、具体的には八尾土木事務所においては、道路の後発的瑕疵の発見補修のために定期的な道路パトロールを行なつており、その頻度も、管理下道路全般につき一日ないし二日に一回の割合、本件事故現場についてもほぼ八日に一回の割合であつて、本件事故現場が一般国道であることや、これによつて発見された道路損傷箇所件数が平均してほぼ一回につき一件でありこれが皆無である日も少なくないこと等を考えると、これは適当な巡回々数であり、その方法も使用巡視員の人数、巡視要領、事故処理体制ともに一応十分なものと言うことができる。そうしてみると、被告としては本件事故現場について通常予期され得る安全性の欠如に対応する管理行為は尽していたものであつて、本件側溝穴の出現については、これを予期すべき特段の事情のない限り(本件では右特段の事情の主張立証はない)、被告にとつて社会通念上その管理行為が及び得ない事態であつたというほかなく、なお、八日に一度の巡回では不充分であつたとしても、本件では、前記のとおり事故前日の八月二三日のパトロール時には本件側溝穴はいまだ存在しなかつたと認められるのであるから、その後、事故発生までの僅々三五時間の間に原因不明の事態によつてこれが生じたのであつてみれば、本件側溝穴が車道本体ではなく付属設備である側溝上に生じた比較的軽微なものであつたことも考慮すると、かような場合にまでこれを完壁に避け得る管理体制を求めるのは不可能を強いるものであつて、結局本件側溝穴の存在をもつて被告の道路管理上の瑕疵ということはできないと解すべきである。

5  なお、原告は、本件道路の設置の瑕疵をも主張するところ、その具体的内容は必ずしも定かではないが、そもそも本件側溝の蓋をずれないようにするか照明設備を設けるべきであつたと主張する点がこれにあたるものと解されるので判断するに、道路の設置の瑕疵とに、道路の設計の不備や材料の粗悪など、その設定又は建造に不完全な点があることを言うと解するのが相当であるところ、前掲検甲第一号証の六、七及び証人弘田正幸、同梶谷稔の各証言によると、側溝蓋をチエーンで固定することもあるが本件事故現場では維持管理の必要上から鉄蓋は固定しなかつたこと、本件側溝の鉄蓋は一〇〇メートル間隔で端を止めてあり各鉄蓋のすき間が五ミリメートルあるが、一枚の鉄蓋の長さが約三メートルであるからすき間ずれによつては最大限約一七センチメートルのずれが生じるだけで本件側溝穴を生じるようなずれは通常起こり得ないこと、本件鉄蓋は「ずれ」を防止するためはめ込み式になつており、また相当の重量があることの各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、右認定事実によると、本件側溝穴は、本件側溝や側溝蓋の設計あるいは設定に不完全な点があつたことによつて生じたものと言うことはできず、また、照明設備の不存在も、本件側溝の設置、管理に瑕疵がない以上、これをもつて本件道路の設置の瑕疵と言うことはできない。

以上のほか、他に本件国道につき被告に設置又は管理の瑕疵があつたと認めるに足りる証拠はない。

三  以上のとおりであるから、結局、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がなく失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 弓削孟 海老根遼太郎 太田善康)

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